2009年06月21日
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下高井戸分水・取水点誤認のメカニズムを再考察する・埋めた立てられたヒント?

Written By: 川俣 晶連絡先

 昭和44年住宅地図と豊多摩郡誌によって明確になってきた玉川上水下高井戸村分水の開始点と終了点で書いた取水点誤認のメカニズムの話は間違いだと分かったので、再考察してみました。

 まず、「全住宅案内地図帳 杉並区版 昭和44年度版」の下高井戸分水・取水点付近の部分です。青線が分水の本流で、赤線が迂回水路です。

昭和44年住宅地図の経路

 この地図では、玉川上水脇から北に向かう水路が3本見られます。青1本、赤2本です。

 これに対して、現在の地図を重ね合わせます。(Google Mapsの地図を引用させていただきました)

現在の地図と重ね合わせ

 これを見ると、北に向かう3本の水路のうち、現在の道路と重なるのは青線のみであることが分かります。赤線相当の道路は現存しません。おそらく、玉川上水廃止後、青線のうち玉川上水脇を離れた部分から先「だけ」が排水路/暗渠として使用されたと思われます。下水道台帳を見ると現在でもこの範囲に下水が存在します。

 さて、話はまだ終わりません。上図で重要なことは、西に向かう青線がすぐに道路(放射5号線)の下に飲み込まれてしまうことです。放射5号線の下には水道管が存在すると思われますが、これが下高井戸分水の水路には接続されることはなかったと考えられます。とすれば、以下の地図の緑部分の水路の存在意義が問題となります。

消滅する接続領域

 この部分は、それより東の範囲と違って排水路としての役割もほとんど果たしません。水路として残す意味がほとんどありません。

 一方で、緑丸の北側の住宅へのアクセス道路を見ると、この位置がボトルネックであることが分かります。以下のオレンジ線はこの当時の道路のラインを示します。

住宅の道路

 オレンジ線南端付近の住民は、かなり遠回りしなければ表通りに出られません。しかし、緑丸部分を埋め立てて道路を貫通させれば、即座に放射5号線に抜けられ、そのまま甲州街道に出られます。

消えた痕跡 §

 以上のような経緯を考えれば、緑丸部分は水路としての痕跡が残らない形で埋められた可能性が想定されます。

 それと合わせて、ここが玉川上水との接点であることを加味すれば、なまじ暗渠としての排水路が残存している時代であればあるほどここが分水点であると誤認してしまうリスクが生じたのではないか、とも考えられます。

余談・本田収愛犬訓練研究所 §

 以下、あまり裏付けを取っていないいい加減な話を書きます。

 北に向かう青線の東側には「本田収愛犬訓練研究所」があります。住宅地図の記述を見ると、この本田さんは昔からここに住んでいるようにも見えます。周辺はおそらく農地でしょう。とすれば、この位置で下高井戸分水が玉川上水脇を離れる根拠が見えてきます。本田さんが甲州街道方面へのアクセスの便利さを欲するとすれば、水路は家の南側ではなく、北側を通さねばならないのです。

感想 §

 このあたりの不思議な道路のつながりについても解釈が浮上したのは自分でも意外でした。

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